what's 2step/UK garage ?

some notes

1,2

*1

過激で、逞しく、進歩的で、一体となり、影響を与え続ける、パイレーツレディオは
常にアンダーグラウンドミュージックの精力的で刺激的な触媒であり続けている。
イギリスにおけるパイレーツレディオの文化は、本来的にクラブシーンの文化と結びついている。
そして常に変化し続け、 常に革新し続けるクラブミュージックを
不法電波は10年以上に渡り、反映し続けている。
パイレーツレディオは、新しいジャンルの誕生と発展に重要な役割を果たしてきた。
特にUKガラージにおいては、そうだ。

90年代初期のロンドンで、UKのアンダーグラウンド・ガラージは
優等的で島国的な口コミで、その人生を始めた。
USハウスとガラージのタフでダークでディープな面への
共通した愛が、一群のDJ達を一つにしたのだった。
先陣を切ったのは、ノリス”ダ・ボス”ウィンドロスドミニク・スプレッドラヴ
カール”タフ・イナフ”ブラウン、マット”ジャム”ラモント、
DJハーミット、MCクリードなどのDJ達。
新しく生まれたシーンは、
Gas's Spreadloveや南ロンドンのFrog & Nightgownやthe Arches等の
日曜パーティや、同じくイーストエンドのアフターアワーズのイヴェントに、
最初の拠点を見つけた。
多くのアンダーグラウンド・ガラージ・シーンのDJ達は、
アシッドハウスとハードコアの時代に
パイレーツレディオで修業を積んでいたため、
必然的に彼らの新しいサウンドは、同時に電波にも乗せられたのだった。
ジャングルが依然としてロンドンのパイレーツレディオを 独占していた 一方で、
それらの局は、土曜の朝や日曜の午後などのよりリラックスした時間帯に
ピッチを速めた輸入モノのガラージや
その(MCの為にスペースを残した)ダブミックスなどを
かけるDJ達に時間を与え始めていた。
90年代の中頃までには、急速に成長するUKガラージ・サウンドに貢献した多くのパイレーツ局が、
シーンのDJ達によって開局された。

クラブ・プロモーター達がパイレーツレディオを
ガラージ・イヴェントの宣伝に使い始めると、
シーンはその拠点を、小さなクラブを離れ、より大きな「レイヴ」に移すようになった。
たとえば、それは北ロンドンのカムデン・パレスの様な会場で行われた
Sun CityやLords Of The Undergroundといったイヴェントだった。
そしてすぐにパイレーツ局は、局専属のロンドン各所の個性的なガラージクルーを
売りにして、局主催のイベントを開くようになった。
パイレーツ局は、熱狂的な人気のガラージDJやMC達の
最初の登竜門になった。そこでミックスやマイクのスキルをテストする
ことができるよい修業の場所になったのだ。
不法なネットワークは、今やUKガラージ・シーンのバックボーンをつくり、
それ以上のもの、つまり音楽が向かう変化の的確な表示を与えた。
初期のパイレーツ局におけるガラージ番組を聴くと、
そこでは、トッド・エドワーズ、MK、マスターズ・アット・ワークのダブ、
そしてより抽象的なトッド・テリーやロジャー・サンチェスなどの
アメリカのプロデューサー達の曲が多くを占めていた。
しかし、徐々にシーンのイギリス人DJ達は、自身のトラック制作を始め
グラント・ネルソンやタフジャムらの作り出したトラックが
ロンドンのパイレーツ曲で紹介されるにしたがって、
USモノは、ロンドンのカッティングスタジオから届けられたばかりの
国産モノのダブプレートへと取って代わられていった。

1997年の夏になるころには、UKのアンダーグラウンド・シーンは
ダンス・ミュージック雑誌の注目を集めるようになっていた。
そして、メディアがでっち上げた「スピード・ガラージ」という
レッテルの下で、シーンは最初の大きな注目の波に曝されることになった。
Double99の"RIPgroove"、187 Lockdownの"Gunma"といった
パイレーツ曲でブレイクしたトラックが突如として、
コマーシャルなラジオ局でもかかり始めた。
しかしながら、その年が終わるころには、バブルは弾け、
スピード・ガラージは終わったものとされてしまった。
しかし、それはUKガラージの終わりのサインでは決してなかった
シーンは、しっかりと確立されたそのアンダーグラウンドなルーツに幸運にも帰ったのだ、
そしてパイレーツ局による絶え間ないサポートによって
UKガラージのサウンドは、発展と進化のための時間と空間を与えられたのだった。
  シーンにおけるお決まりの4つ打ちのビートが、
今で云うところの2ステップの ブレイクビーツ・グルーヴへと砕け始めたとき、
再びパイレーツ局は、その変化をチャートにしっかりと反映させた。

今日、UKガラージ・シーンは、メインストリームで、
未曾有のブームを体験している。
ヒットに次ぐヒット、ミックスCDはセールス記録を破り、
そのサウンドは、Radio Oneやギャラクシー、チョイスFMといった
メジャー局を通じて、国中に広まっている。そのスキルでパイレーレディオで名を馳せた
幾人かのDJ達は、正規の局に雇われるようになった。
その中には、ドリームチームがホストするRadio Oneの番組や、
DJ EZのパイレーツレディオ好きのKissFMの番組がある。
UKガラージは、ついにメジャーになったのだ、
しかし、そのハートとソウルはアンダーグラウンドのままだ。
イキリス中のパイレーツレディオ局の数が月ごとに増えていることを反映して、
シーンの草の根は、今までにないほどの勢いで成長している。
パイレーツ局のネットワークの4分の3が、UKガラージを流していることを考えれば
ロンドンのFMにおける今一番のサウンドトラックは、
間違いなくUKガラージといえるだろう。
最新の流行を、シーンの最先端を求める要求は今までになく強く、
その要請に応えることができるのは、やはりパイレーツ局だけなのだ。
なぜならば、それらの局は新しい世代の新しい才能を育てるための
環境を提供できるからだ。

ここで1996年にリワインドしよう!
Locked Onは、最も古くからパイレーツレディオにおける
UKガラージのプレイリストをダイレクトに反映したミックスCDを
編集しリリースしてきたレーベルだ。
このレーベルの名前の元になったアルバムは、
ニュージャージーのプロデューサー、トッド・エドワーズによってミックスされた。
彼の音楽はUKガラージのオリジナルシーンに大きな刺激を与え、
いまだに愛されるクラシックとなっている。
さらにそれに続き、この多大な影響力と尊敬に値するシリーズは
2つの重要なアルバムをリリースしている。
それらのアルバムは、それぞれがUKシーンの牽引者である
R.I.Pとラムゼイ&フェンによってミックスされた。
そして今、Locked Onはそのオリジナルコンセプトである
"サウンド・オヴ・ザ・パイレーツ"をかかげて、
待望の復活を果たした。
ここに収録されたナンバーは、局の電話回線を何度もパンクさせた
とびきりのトラックばかりだ。
その進歩的で、最先端のトラックリストは、これをミックスしている
男を見事に表している。
彼の名は、新世代のUKガラージDJ/プロデューサー、ゼッド・バイアス。
真に衰えることのないパイレーツレディオの精神は、
新たなるUKガラージの波を起こしつづけるだろう。

(フィリップ・リード、mixcd "Sound Of The Pirates"ライナーより)

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*2

UKガラージのサウンドは、1995年頃に発展しだした。
最初それは、いろいろな呼び名でスタートした。
例えば、スピード・ガラージとかロンドン・ガラージとかサンデイ(日曜日)・シーンなんかもそのうちのひとつだ。

アルマンド・ヴァン・ヘルデン(Armand van helden)は、 いわゆる「スピードガラージ」と呼ばれる
サウンドを作った最初のアーティストの内の一人だ。
彼いわく、ハウスとドラムンベースをクロスオーヴァーさせた曲を作りたかったのだそうだ。
当初そのアイデアを聞いた人達は、彼を変人扱いしたが、仕上がってきたサウンドは新鮮なものだった。
彼が当時リリースしたもののなかには、スニーカー・ピンプスの「スピン・シュガー」、
CJボーランドの 「シュガー・イズ・スイーター」、ニューヨリカン・ソウルの「ランナウェイ」等のリミックスがあった。

1996年になると、RIP(Double 99)、タフジャム、ドリーム・チーム、Booker T 187 Lockdown(Nu BirthとGrant)、
MJコール といったアーティスト達がそれぞれに個性的なスタイルでアンダーグランドのシーンに登場してきた。
今になって考えてみると、これらのUKガラージは2つのタイプに分けることが出来る。
Double 99、RIP、187 Lockdownなどは、うねるベースラインをフューチャーしたタイプ、
そしてMJコール、トッド・エドワーズ、タフジャムなどは、よりヴォーカルをフューチャーしていた。
ガラージミックス以外も依然としてたくさん作られていたが、一年後にはベースラインものがどんどん出てきはじめ
その流行りにアマチュアのトラックメイカー達が飛びつき、そのうちどれも同じようなサウンドになっていった。

1997年は、UKガラージが大ブレイクした年になった。
あらゆるDJ雑誌で、新しいサウンドとしてUKガラージが取り上げられまくった。
Double 99がチャートで成功し、トップ・オヴ・サ・ポップスに「RIP groove」で出演した。

1997年末には、更なる新しいアンダーグラウンド・サウンドが登場した。
それはキック4つ打ちのガラージトラックから、キックドラムを取り除いてたもので、
これは後にツーステップ・ガラージとして知られることになる。
最も最初のツーステップ・チューンの中には、例えばドリーム・チームの"The Theme"、Dem 2の"Destiny"、
そしてラムゼイ&フェンの"Lovebug"などの後のクラシックがあった。

1998年になると、ツーステップはロンドンのUKガラージシーンを象徴する言葉までになり、
4つ打ちのガラージは、メインストリームから徐々に消えつつあった。
タフジャムは、ラジオ番組のDJよりも、リミックスに力を入れ始め、ブッカーTも新しいサウンドにトライし、
MJコールは、4つ打ちとツーステップを融合していった。
レコードショップに行って、20曲のUKガラージを試聴すれば、4つ打ちは2曲くらいの比率になっていた。

1998年は、アンダーグラウンド・シーンが充実した年でもあった。
MJコールやラフ・カット・ロイドやドリーム・チームといったDJ達が、大規模なパーティを成功させる一方で、
多くの海賊ラジオ局が、ロンドンで開局された。
そして、去年(1999年)には、バンプ&フレックス、 アートフル・ドジャー、Doolally、などの
多くのツーステップガラージがチャートにランクインした。
シャンク&ビッグフットの"Sweet Like Choclate"のように、ナンバー1ヒットさえ出現した。
2000年の大ブレイクへの下地はこうして用意された。
そして、ご存知のようにアートフル・ドジャー、カラーガール、Yトライブ、 DJラック&MCニート
といったホワイトレーベルでクラブプレイされた数々のアンセムが、
メジャーのラジオ局からでもプレイされるようになったのだ。

そして2000年半ばを過ぎた今、UKガラージの現状はご存知の通 りだ。
アンダーグラウンドのシーンは、爆発し続け、よりダークな音へと進み、
その一方でメジャーシーンは更なる成長をし、まだまだ飽きられそうにない。
これからもメジャーリリースのUKガラージ・シングルは要チェックだ。

(from http://www.uk-garage.co.uk/ )

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